和菓子このわのこれから
私がつくりたいのは「村」ではありません。
村は囲い込みの共同体。安心はあるけれど、外からの風を拒み、時に排他にもなりがちです。
けれど私が求めているのは、閉じられた安心ではなく、開かれた安心。
だからこそ「村」ではなく「港」をつくりたいのです。
港は、出入りが自由でありながら秩序がある場所。
人や物が行き来し、必要なものを受け入れ、不要なものは流れていく。
外の世界とつながりながら、立ち寄った人に一息の安らぎを与える。
それが「港」の役割です。
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誰を迎えたいのか
私は正直に言います。
この港で本当に迎えたいのは、社会を支えている大人たちです。
毎日、労働に汗を流し、納税という責任を果たし、
その負担の上に社会の仕組みが成り立っている。
にもかかわらず、現代の社会は「大人」を最優先に扱いません。
子どもに優しくすること。
お年寄りに手を差し伸べること。
それは当然のことであり、私も否定しません。
けれど、その土台を担っているのは、しっかり働き、納税している大人たちです。
その人たちが、今の社会では「いて当たり前」とされ、労われることも少なく、行き場を失っているのです。
私は、その大人たちに「ここにいていい」と伝えたい。
ここでは胸を張っていい。
ここでは「頑張っている自分」をねぎらっていい。
ここでは「同じように頑張っている仲間」に出会える。
このわの港は、そんな場でありたいのです。
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価値のバランスを取り戻す
なぜ社会は批判で溢れるのか。
なぜ私たちは互いを認められないのか。
それは「価値のバランス」を見失っているからです。
直接的価値:命を救い、食料や物資を届け、医療や生活を支える。
象徴的価値:希望を与え、感謝や信頼を生み、心を支える。
本来はどちらも欠かせない。
状況や立場によって、どちらが重視されるかは変わってよい。
けれど今の社会は、「直接こそ本物だ」「象徴なんて役に立たない」と互いを否定し合う。
逆に「心を癒すことこそ大事だ」と唱えながら、現場で汗を流す人を軽んじることもある。
違うんです。
どちらも大切。
どちらもあって初めて人は生きていける。
批判し合う社会を変えるには、
互いの価値を認め合い、循環させる場が必要です。
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このわが担う役割
和菓子このわは、ただの和菓子屋ではありません。
農業に携わり、収穫したものを保存し、製粉し、
和菓子の原料にまで仕立て、最後にお客様に届ける。
一次から六次までの価値をひとつの流れにして、
「直接的価値」を生み出す。
同時に、和菓子は「象徴的価値」を持ちます。
小さな一粒のお菓子が、誰かを笑顔にし、疲れた心を癒し、頑張る人に「よくやった」と声をかける力を持っている。
このわは、その両方を担っています。
だからこそ私は、ここを「港」と呼びたいのです。
私が目指すのは、
奪い合う社会ではなく、支え合う社会。
批判で消耗する社会ではなく、認め合う社会。
その始まりは、社会を支えている大人たちが安心して立ち寄れる港を持つことです。
和菓子このわは、その小さな港になります。
ここに残ってくださるお客様、どうか誇りを持ってください。
あなたが社会を支えている。
そして私は、あなたがここにいることを全力で守ります。