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― 稼がずとも満たされる社会へ ―
気づけば、
社会はいつの間にか“働くために生きる”仕組みで動いてきた。
稼ぐことが目的となり、
豊かさが“数字”で測られるようになった。
けれど、
本当の豊かさは、
財布の中ではなく、心の余白の中にある。
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岡本よりたかさんは言った。
「農という実態で稼ぐより、
実態のない情報や知識で稼ぐ方がお金が増える」と。
ボブ・ディランは言った。
「今日、自分の曲が一位でも、
明日はどうかわからない」と。
情報も、知識も、地位も、名誉も、
すべて“実態のないもの”だと気づいたとき、
それを信じる心こそが“お金”へと変化していたことに気づく。
人は、
“不安”を忘れるために複雑な仕組みを作るんだと思う。
天気に左右される農、
命を預かる労働、
いつかは終わる人生。
——すべてが不確かだから、
人は「確かさ」を人工的に積み上げた。
それが制度であり、
お金であり、
テクノロジー。
けれど皮肉なことに、
安心を求めて作ったはずの仕組みが、
やがて人を生きる実感から遠ざけていった。
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私はもう、「稼ぐ」ことをやめた。
正確に言えば、
“お金を稼ぐために働く”のをやめたのだ。
米を育て、
電気を生み、
発酵で命をつなぐ。
それらはすべて、
「自分のため」ではなく、
“誰かの笑顔の循環”のためにある。
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稼がなくても、生きていける。
その言葉の裏には、
**「誰かが支えてくれている」**という深い感謝がある。
林さんのもち米、
うどん屋のにぎわい、
パンの香り。
そしてその全ての裏付けは、
自然の恵みと人が身体を動かす事にある。
それが、本当の経済。
奪い合わずに、満ち合う経済。
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「豊かさ」とは、
所有の量ではなく、
恩の流れだと思う。
誰かが渡してくれたものを、
誰かに返す。
その循環が生まれた場所には、
争いも、競争も、もう要らない。
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このわの店は、
利益では動かない。
“温度”で動く。
お客様の心がほぐれ、
自然の恵みが笑い、
職人の手が報われる。
その瞬間にこそ、
“経済”が“生命”に還る。
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稼がずとも、満たされている。
それが、
人が本来もっていた“働き方”なのかもしれない。かす