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このわのブログ

需要の崩壊と対処

最近こんなニュースがありました👇

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「コメの高騰で、倉庫に1200トンの売れ残り。

去年の米不足の反動で高値で仕入れた結果、

余りが出ると8年産が滞留する可能性がある」

(日テレNEWS)

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去年の米不足で高く仕入れ、

今年は逆に売れず倉庫に積み上がる。

これが“小さな需要の崩壊”の始まりです。

私が最も恐れているのは「需要の崩壊」。

かつて、お金は血液だった。

お金が働き、流れ、巡ることで、

大量生産・大量消費という巨大な循環が保たれてきた。

工場が作り、

人が買い、

企業が利益を出し、

また次の生産へ──。

それが“経済の呼吸”だった。

しかし今、

インフレによってそのリズムが崩れはじめた。

消費が消え、

人件費や賃料などの固定費が払えなくなり、

失業者が増え、

さらに需要が消滅する。

企業の利益が減り、

倒産が連鎖する。

まるでドミノ倒しのように、

“負の循環”が静かに始まっている。

作っても売れない。

売りたいけど買い手がない。

買いたいけど、お金がない。

そんな社会が静かに近づいている。

だからこそ今、

もう一度胸に刻む必要がある。

物価が上がる時は、供給側の器が試される。

物価が下がる時は、消費者の器が試される。

インフレの今、

経営者は知恵で“買いやすい価格”をつくる努力をし、

デフレの時は、

消費者が“できるだけ高く買おうとする努力”が必要になる。

企業努力という言葉が消えた今、

もう一度問い直してみたい。

インフレの今、

経営者は“買いやすい価格”を維持する努力をしていますか?

そしてデフレの時代、

私たち消費者は“質の良いものを高く買う努力”をしていたでしょうか?

流れを変える唯一の方法は、

生きる固定費を下げること。

つまり、

生きると働くを分けて考えること。

農、電気、水、技術、手仕事。

何か一つでもいい。

自分の足で立てるものを持つ。

気づいた人から、静かに立ち位置を変えていけばいい。

“自分の足で立つ”という形に。

“奪わず、奪われず、生きる”という形に。

それが、これからの時代の

唯一の安全圏だと思う。

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