
![]()

🌾 **【お金のものさしを外すということ】
── 苦しみの正体と、誇りの育て方、そして“楽しく生きる”という本質 ──**
「農家は苦しいんです」と嘆く声を、私は何度も聞いてきた。
けれど、思うのだ。
苦しいのは農業だからではない。
苦しいのは“お金のものさし”で世界を見てしまっている、その生き方のほうだ。
これは農家に限らない。
お金持ちも、経営者も、サラリーマンも──
みんな同じ苦しみを抱えて生きている。
「損をしたくない」
「もっと稼がなければ」
「他人より上に見られたい」
こういう思考はすべて、
外側の尺度で自分を測ろうとする“お金フィルター”だ。
このフィルターを通した瞬間に、
人生は苦しくなる。
では、その苦しみからどう抜けるのか。
答えはたったひとつ。
お金のものさしを外し、
“誇り”を内側から育てること。
では誇りとは、どうすれば育つのか?
誇りは、生まれつきあるものではない。
誰かに褒められて得るものでもない。
誇りは、
「相手の痛みを見抜き、先に動く力」
その積み重ねで育っていく。
若い頃、私は「気が利かない」と言われるのが嫌で、
相手が次に何を必要としているかを必死に考えた。
手が伸びる前に道具を渡す。
困る前に準備をする。
相手が言葉にする前に動く。
それはただの“気配り”ではなかった。
相手の気持ちを読む力。
相手の未来を察する力。
相手の痛みを想像する力。
この力こそ、
誇りの“根っこ”になっていたのだ。
今でも私は、交差点で曲がろうとするトラックを見れば、
運転手がラクに通れるよう手前で止まる。
誰かが車から降りる前に、
さりげなくドアを開ける。
それは考えてやっているわけではない。
身体に染みついた“相手を見る技”だ。
この技が深くなるほど、
誇りは静かに育っていく。
そしてこの力は、
やがて“時代の先読み”にもつながっていく。
相手の一歩先を見る習慣が、
社会の一歩先を見る力へと変わる。
だから私は、
経済の変化も、社会の歪みも、
崩れゆく構造も、自然と察知できるようになった。
すべては、
“誰かを喜ばせたい”
その気持ちから始まっていた。
誇りとは──
誰かを幸せにした回数が
心の中に残した光の総量。
数字でも肩書きでも、
他人の評価でもない。
自分が何人の痛みを察し、
何人を軽くしてきたか。
その回数こそが、
人の価値を決める唯一の尺度だ。
お金のフィルターを外すと、
人はその真実に気づく。
そしてその瞬間から、
生きることが“自分のもの”に戻り、
苦しみは静かに消えていく。
⸻
🌱 そして最後に──
生きることは、本来、楽しいことであるはずなのに、
人はいつの間にか
「生きること=苦しいこと」
という誤解を抱えてしまう。
けれど、もし楽しい人生を望むのなら、
難しいことは何ひとつ必要ない。
相手の気持ちや痛みを理解し、
お互いに幸せになろうとすること。
たったそれだけで、
人生はちゃんと楽しい方向へ向かっていく。