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このわのブログ

フェイクマネーに集るSNS

【このわ経済論:同じ1000円なのに価値が違う理由】

—— お金の本質に触れてしまう話 ——

世の中には、

同じ数字なのに、まったく価値が違う1000円 がある。

たとえば私が、

大豆を育て、雑草と戦い、

夏の暑さに体を焼かれながら、

害獣に悔しい思いをし、

乾燥し、脱穀し、やっとの思いで形にして得た1000円。

その1000円には、

・時間

・技術

・汗

・覚悟

・自然との対話

・失敗の悔しさ

・成功のよろこび

全部が詰まっている。

これは “生きた1000円” だ。

では一方で、

SNSで誰かを批判し、

「政治が悪い!」「財務省が悪い!」と叫び、

責任を外に投げ、

自分では何も生み出さずに得た1000円。

その1000円には

誰の腹も満たしていない。

誰の未来も作っていない。

誰の暮らしも守っていない。

つまり、

“空っぽの1000円(フェイクマネー)” だ。

自然界では、この2つは絶対に同じ価値ではない。

太陽も、土も、虫も、風も、

「働いたものだけが実る」という

たった一つの原理で動いている。

自然の経済には

不労所得も

批判ビジネスも

存在しない。

あるのはただ、

“命を使って生み出したものだけが価値を持つ”

というルールだけ。

だから私は、

この2つの1000円が

“同じ価値” として扱われる現代社会が

どうしても理解できなかった。

ではなぜ、社会では同じ価値として扱われてしまうのか?

理由はひとつ。

今の貨幣は

❌ 価値の証明ではなく

⭕ ただの数字の記録

になってしまったから。

働いても、働かなくても、

誰かを幸せにしても、批判しても、

“数字としては同じ1000円” として並んでしまう。

これが現代経済の最大の歪み。

だからこそ、このわは“リアルマネー”しか受け取らない。

このわの和菓子は、

命の時間と技術でつくる “本物” だから。

受け取るお金も、

“本物のお金” だけでいい。

それは、あなたが

・働いた

・汗を流した

・喜ばれた

・役に立った

その結果として得た1000円。

その1000円は温度がある。

重みがある。

命が宿っている。

和菓子(命の作品)は

その違いを一瞬で見抜く。

命をかけて作った大豆の1000円と、

批判だけで得た1000円が、

同じ価値のはずがない。

このわの経済は、

数字ではなく “命の密度” で動いている。

そしてこれが、

これからの時代に必要な

新しい貨幣の価値基準 だと私は思う。

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